地域部会

映画「出稼ぎの時代から」

「出稼ぎ」
昭和35年以降の高度経済成長期、山形の農村からも多くの男性が冬の都会に働きに出ました。
その後始まった米の生産調整以降、その数は増加し始めたということですが、実際にはひっそりと出かけたいた人もいて正確な数は把握できていないそうです。
多くが地下鉄や道路、下水道整備といった都市建設のための重労働で、大都市に一極集中するためのインフラ整備となりました。
あれから約60年。結果として、私たちの住む地方では、人口減少によりコミュニティの機能が維持できない時代となっています。

私たちは、本当に豊かになったのでしょうか。

昭和の出稼ぎの時代、白鷹町から出かけた青年は、飯場や建設の現場に生きる人たちをカメラに収め、日記のようにその様子をスライドにまとめました。
二年前、役場の倉庫から見つかった古いスライドを何とかDVDに焼き直し、その映像が蘇りました。
貴重な1枚1枚のスライドと文章を活かして、現在に生きる私たちにその思いを伝えたいと、有志が集まって記録映画を作り、この度作品とパンフレットが出来上がりました。

 

保存の過程で失われてしまった音源が、より一層かつての厳しい状況を感じさせるオープニング。

農家の方々が出稼ぎをしなければならなかった背景には、かつては馬が耕していた田畑に、トラクター等が使われるようになり、燃料等にも現金が必要となったこと。

かつての集落の家々には一軒ずつ屋号がつけられており、そのなかには「たがや」(=木桶屋のこと。木桶は竹のたがで締められていたためと思われる)が必ずあったが、いつのまにか家々の前には木ではなく、化石燃料から作られたプラスチックの桶が置かれるようになったこと。

映画では農業の分配の課題や、環境問題等多岐にわたって扱っています。
それは、それぞれの課題は決して別々のことではなく、私たちの地球、世界、過去と今全てつながっているということです。
SDGsが語られ、様々な課題が目の前にあると感じる今、映画から受け取ることも多くあると思います。

出来上がった作品は、今後各地で上映会や座談会を行いたいとのこと。希望があれば、「白鷹町出稼ぎの記録映画製作委員会」にお繋ぎします。

カメラを携えて出稼ぎに行った青年は、当地域部会でも活動をされている本木勝利さんです。


当団体のHP問い合わせフォームから連絡をください。

最上川にまつわる紙芝居完成しました

 県内を大きく流れる最上川。かつては交通の要でもあり、生活と密着した場所でした。
 地域の方に川にまつわる話をお聞きし、脚本や作画、読み手も地域の方が主体となって作る紙芝居。
 今回は大石田町の船大工の家に生まれた木村さんのお話です。

 

 取材当時小学生だったお子さんを中心にご家族で1年以上かけて絵を描いてくださり、この春中学生になったお二人が初ナレーションにトライ。

 真冬の大雪の中、現地に取材に行き、舟造りの様子が分かる貴重な写真や舟小屋も見せてもらったり、図書館などで調べたり、丁寧に作品作りを進めました。
 方言も可愛い二人のナレーション、是非お聴きください。
動画はHP 「動画配信」→「最上川にまつわる紙芝居」からご覧いただけます。